氷雨
宛 先
terri
氷雨先生の ご連絡です
terriさん、夜分に失礼致します。
氷雨です。
今、研究室のデスクに向かい、今夜のあなたの波動観測を始めたところだ。
手元にはいつもの鑑定ノートとコーヒー、そしてあなたの鑑定書。
照明は手元のデスクライトだけを点けている。
鑑定に没頭する際にはこの方が集中できるという、長年の癖のようなものだ。
窓の外にはとうに日の落ちた空が広がっているが、この時間帯の研究室の静けさは嫌いではない。
自分のコーヒーをすする音と、ペンがノートの上を走る音くらいしか聞こえない。
余計な情報が遮断されることで、波動の微細な揺らぎにまで意識を向けることができる。
terriさん、少しだけ僕の日常の話をさせてください。
僕は毎晩、あなたの波動の観測を行っている。
この日課について具体的にどのような作業を行っているのかをお話ししたことはなかったかもしれない。
手順自体は至って地味なものだ。
鑑定ノートにその日の日付を記し、波動温度を読み取り、揺らぎの周期と振幅を計測し、前日までのデータと照合して変化の有無と傾向を確認する。
所要時間はおおよそ15分。
その15分間、僕はあなたの一日の歩みを波動の数値を通じて受け取っている。
穏やかな一日だったのか。
何かに胸を痛めた日だったのか。
小さな喜びがあった日だったのか。
数値はそういったことを、言葉よりも正直に教えてくれる。
実際に、直近の観測ノートの一部をお見せしましょう。
普段であればこのようなものをお見せする機会はないのだが、今夜に限ってはあなたに知っておいて頂くべきだと判断した理由がある。
それはこの後すぐにお伝えする内容に深く関わっているからだ。
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<波動観測ノート 直近抜粋>
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│波動温度 ……… 36.2℃(安定域) │
│揺らぎ周期 …… 4.2秒 / 1波 │
│揺らぎ振幅 …… 0.8(微小 │
│特記 … 穏やかな一日と推測 │
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│波動温度 ……… 34.7℃(やや低下)│
│揺らぎ周期 …… 2.8秒 / 1波 │
│揺らぎ振幅 …… 2.3(中程度) │
│特記 … 感情面に動きあり │
│ 悲しみよりも悔しさに │
│ 近い波動の質 │
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│波動温度 ……… 35.9℃(回復) │
│揺らぎ周期 …… 3.9秒 / 1波 │
│揺らぎ振幅 …… 1.1(微小~小) │
│特記 … 回復速度の向上を確認 │
│ 本人の地力の成長を │
│ 示す重要な傾向 │
└─────────────────┘
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このような記録を、ご縁を頂いた日から今日まで一日も欠かさず書き続けている。
地味で、誰に見せるわけでもない作業だが。
このノートの中にあなたの日々が積み重なっていることを、僕は静かに誇りに思っている。
ノートの特記欄を見返すと、時々自分でも驚くことがある。
分析的な記述に混ざって、「穏やかな一日だったようだ。よかった」などと、研究者としてはおよそ不適切な所感が紛れ込んでいるのです。
論文であれば赤ペンで即座に削除される類の記述だが、僕はあえて消さずに残している。
あなたの波動に安堵した自分がその日そこにいたという事実もまた、記録として正しいと思えるからだ。
…さて、terriさん。
今夜お伝えしなければならないのはここからだ。
これだけの記録を積み重ねてきた僕だからこそ、今夜のこの「異変」に気付くことができた。
今しがた始めた今夜の観測の中で、通常では見られない波形が検出されたのです。
あなたの波動は普段、就寝に向かう時間帯には徐々に緩やかな曲線を描いて安定していく。
僕が毎晩見慣れてきた、穏やかで規則的な波形だ。
しかし今夜の波動は、その安定に入ろうとした直後から微細な振動を繰り返し始めた。
一見ノイズのようにも思えるが、あまりにも規則的すぎる。
ノイズであれば周期も振幅も不規則に乱れるはずだ。
しかしこの振動は周期が完全に等間隔であり、振幅も一定を保っている。
規則的であるということは、そこに何らかの「意志」が介在していることを意味する。
即座に、過去の全ての観測データと照合した。
脳由来の睡眠時波動とも、日中の感情変動の残響とも、守護存在からの波動接触とも一致しない。
膨大なデータの中にただの一つも類例が見つからなかった以上、残される結論は一つだ。
この波形は、あなたの「脳」ではなく「魂」が発しているものだ。
魂が関与する波形が就寝時に観測されるケースは、僕の鑑定経験の中でも数えるほどしかない。
しかし、その数少ないケースの全てに一つの共通点があった。
その方の運命に、「転機」が差し迫っていたということだ。
例外は、一つもなかった。
terriさん。
あなたが今夜眠りに就いた時、おそらく夢を見ることになるだろう。
そしてその夢を、明日の朝には覚えていないはずだ。
だが、覚えていないということは、その夢に意味がなかったということではない。
むしろ逆だ。
忘れてしまう夢の中にこそ、あなたの魂が今最も伝えたがっていることが隠されている。
脳が忘れてしまっても、魂は覚えている。
そして今夜、その魂の声が波形となって僕の元に届こうとしているのです。
この波形の完全な解析には、もう少し時間を頂きたい。
規則的とはいえ微細な振動の一つ一つを丁寧に読み解いていく作業は、速さよりも正確さが求められるものだ。
明日の正午頃には、全てをお伝えできるはずだ。
夜通しの作業になるだろうが、そんなことは慣れたものでしてね。
コーヒーの残りはあと四杯分。
五杯目を淹れる頃には答えに辿り着いているだろうと、この分野における僕のささやかな勘が告げています。
…六杯目を淹れる頃には、さすがに胃が抗議の声を上げているかもしれないが。
どうか今夜は安心してお休みください、terriさん。
あなたが眠っている間も、僕はここで観測を続けています。
あなたの魂が語ろうとしている言葉を、一音たりとも聞き逃さぬように。
それは義務ではなく、僕がそうしたいと思うからだ。
明日の正午、全てをお伝えします。
氷雨 愛(ひさめ いとし)
